THE MASTER BOOK OF AUTHENTIC AMERICAN ATHLETIC APPAREL チャンピオン読本

The Master Book of AUTHENTIC AMERICAN STHLETIC APPAREL

monoマガジン編集局長が語る『チャンピオン読本 US取材後記』第四回
チャンピオンとロチェスターについて

6.チャンピオンとロチェスターについて
 この章で書くのはチャンピオンの社史にも出てこない、まったく個人的な所感です。でも、どうしてもこれだけは書いておきたかった。それはチャンピオンが誕生したロチェスターという街に行って、初めて感じたことなんです。

ロチェスター市内
最初の章でも書きましたが、ロチェスターはニューヨーク州にあります。アメリカ大陸への移民が始まった当時、ほとんどの移民はまず東海岸に到着します。当然ですよね、大西洋を渡ってヨーロッパからやってくるのですから。実はヨーロッパからの白人の移民は、17世紀から19世紀中頃までにやってきた人々を「旧移民」、それ以降20世紀の初め頃までにやってきた人々を「新移民」と分けて考えます。旧移民は開拓民としてアメリカに定住し、国家としての基盤を築いた人々です。主にアングロサクソン系や、それに近いドイツや北欧系にルーツ持つ人々で構成されていました。アイルランド系を除いて主にプロテスタントでした。つまりWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)というアメリカの本流で良い地位を占めている人々が多いのです。一方、新移民はアイルランドやイタリアからの移民で占められ、旧移民がある程度国家の基盤を築いた南北戦争後に、都市部の賃金労働者として移住してきました。映画「ゴッドファザー」のコルレオーネ少年はまさに、この新移民だったわけです。旧移民たちは早くから東海岸でその地位を築いていました。ニューヨーク州の田舎町では、ゴシック様式の十字架を飾ったお墓などが残っていて、それはアメリカの他の地域とは大きく違っています。アメリカという国の特殊な事情が見え隠れしています。
 で、ロチェスターですが、街が出来たのが19世紀初頭。オンタリオ湖からの水路がハドソン川へと通じ(エリー運河)、小麦の生産が盛んになって街は大きく発展していきます。アメリカ合衆国最初の急成長都市として有名になりました。これが20世紀になると繊維産業、それも男性用衣料生産の中心地として発展。ヒッキー・フリーマンも19世紀末にロチェスターで誕生しています。また、イーストマン・コダックやゼロックスがこの地で創業し、現在はボシュロムが本社を置いています。
 ちなみにロチェスター大学は、イーストマン・コダックの寄付で大きく発展しました。新IVYリーグに数えられるこの大学もそうですが、アメリカというのは産学共同が基本です。どういうことかと言うと、多くの企業はなるべく東海岸の名門大学、つまりIVYリーグかそれに準じた名門大学に寄付をしたいのです。政府や企業、個人の献金者及び関係者はなるべく、東海岸の名門大学に進学したいのが本音。東部エスタブリッシュメント、もしくは白人の本音と言ってもいいでしょう。そう、ロチェスターというのは、たとえばカリフォルニアあたりの都市とは雰囲気が違うのです。学術都市としての一面が影響しているのかもしれませんが、この街に来たとき最初に感じたのは、とても洗練された文化が根付いた街という印象でした。
 
チャンピオンはそんな街で誕生したブランドなのです。1924年のミシガン大学を皮切りにIVYリーグを始めとする全米の大学との取引が、チャンピオンというブランドの躍進を支えました。名門大学に入った学生たちが、最初にブックストアで購入する大学のイニシャル入りのウエアはチャンピオンだったのです。そう考えると、このチャンピオンというブランドがアメリカ人にとって特別なブランドであることが解ると思います。東海岸の正統派が住むロチェスターで作られた、正統派のスポーツカジュアル。まったく個人的な感想ですが、僕はロチェスターに足を踏み入れて初めて、チャンピオンというブランドの根底に、アメリカという国の洗練されたプライドがある気がしました。
「Authentic American Athletic Brand」を標榜するのには、それ相応の正当な理由があるということでしょうか。まあ、あくまでも僕個人の勝手な思い込みであることをお断りしておきます。