THE MASTER BOOK OF AUTHENTIC AMERICAN ATHLETIC APPAREL チャンピオン読本

The Master Book of AUTHENTIC AMERICAN STHLETIC APPAREL

monoマガジン編集局長が語る『チャンピオン読本 US取材後記』第一回
チャンピオンが誕生した時代と生誕の地、ロチェスター

1.映画の中のあの時代に生まれたチャンピオン
 カーネギーホールってご存知ですか? ニューヨークにある有名なホールです。音楽の演奏家にとっては、かなり聖地扱いされています。グーグルで“ライブ・アット・カーネギーホール”と入力すれば、セロニアス・モンクにベニー・グッドマン、エラ・フィッツジェラルドといったジャズの名盤から、クラシックならウラジミール・ホロヴィッツ、ロックならシカゴのライブ盤などなど、とにかくこのホールで演奏された歴史的名演・名盤がズラリとヒットします。ニューヨークのカーネギーホールというのは、音楽家にとっては特別な場所なんです。
 さて、そのカーネギーホールというのはそもそも、アメリカの鉄鋼王だったアンドリュー・カーネギーが建てたもの。カーネギーはロックフェラーと並ぶ歴史上指折りの富豪で、晩年にはその財でカーネギー財団、カーネギー国際平和基金などを設立し、多くの慈善活動を行いました。中でも熱心だったのは、全米各地やカナダの学校に寄贈された図書館の建設。図書館建造は最も資金をつぎ込んだと言われています。カーネギーが活躍した19世紀半ば頃から20世紀初頭にかけてのアメリカではまだまだ国民全体の識字率が低く、そういった教育への一助を自身の活動の柱としたのですね。最近、独立問題で話題となったスコットランドの血を引く人らしい行動だと思います。スコットランドというのは、大学の教授制とかを生み出した国で、現在の教育制度に多大な影響を与えています。非常に教育熱心な風土で知られています。

そんなカーネギーさんと、チャンピオンにはいったいどんな関係があるのでしょうか?
それは追々説明することにしましょう。


オンタリオ湖へと流れる川の多い街、ロチェスター
 われわれの雑誌「monoマガジン」のチャンピオン特集(2014年10月2日号)は、小誌編集部とチャンピオンのコラボレーションで制作されました。遡ること3か月前には、編集部スタッフとチャンピオン・ブランドを扱うヘインズブランズジャパンのスタッフ、総勢6人の取材班でアメリカへと向かいました。そして、いくつかの取材目的の中で、編集部がどうしても行きたかったのがチャンピオン発祥の地、ロチェスターだったのです。
 ニューヨーク州ロチェスター。個人的にも初めて訪れる場所でしたが、意外にも五大湖のオンタリオ湖岸にある都市でした。オンタリオ湖といえばカナダのイメージが強いし、しかもニューヨーク州ということで、マンハッタンしか知らないと、この州の大きさがよく掴めません。実は対岸はトロントでした。そんな位置にあるロチェスターですが、チャンピオン発祥の地である以外にも、コダック社やゼロックス社、ボシュロム社が本社を構える土地でもあるのです(コダック社は現在本社移転)。そんな場所でチャンピオンは1919年に創業しました。
 1919年と書かれてもピンと来ないかもしれませんが、この時代は後に“ジャズエイジ”あるいは“狂騒の20年代”とも呼ばれる時代で、アメリカがメチャメチャ景気のいい時代でした。映画などの舞台設定を参考にするならば、禁酒法(1920年~1933年)の時代がまさにそれで、有名な暗黒街の顔役アル・カポネが名を馳せた時代も同じ。同時に、黒人の労働歌から派生したブルースやジャズが、当時普及し始めたレコードプレーヤーや、放送が始まったばかりのラジオ放送を通してアメリカ中で聴かれるようになった時代でもあります。余談ですが、お酒好きな皆さんが飲まれるカクテルが生まれたのもこの時代。禁酒法の規制の中で、違法営業の地下酒場がブームになり、警察が踏み込んでも「これはジュースだ!」と言い訳できるように、考案された飲み物です。数年前にレオナルド・デカプリオ主演でリメイクされた、スコット・フィッツジェラルドの代表作「華麗なるギャッツビー」が、まさに第一次世界大戦後の空前の好景気に沸くアメリカが舞台となっています。
そう、そんな時代に生まれたブランドなんですよね、チャンピオンは。
2.ロチェスター大学とチャンピオン

ロチェスター大学
 さて、ロチェスターを訪れたわれわれ取材班は、最初にロチェスター大学のキャンパスに足を踏み入れました。アメリカの大学はその土地によって本当にさまざまな表情を持っています。ここロチェスターの場合は、敷地の側を水量たっぷりの大きな川が流れ、ゆるやかな丘陵に校舎が建っていました。建築物も立派で、キャンパス内のブックストアでもらったブックマーカーにも描かれている巨大なチャペルが印象的です。この大学は1850年に設立され、20世紀前半にはコダックの創業者であるジョージ・イーストマンが多額の寄付をして大きく発展したといいます。地元の企業が地元の大学をサポートしたわけですね。
 皆さん、アメリカというと男女同権の自由な国、というイメージをお持ちかもしれませんが、実は1950年代くらいまでのアメリカはとても保守的な価値観だったのです。女性解放の直接的な運動となったウーマン・リブが始まったのは1960年代後半。20世紀初頭にはフェミニズム運動もありましたが、それでもやっぱりずっと長い間、女性と男性を区別する社会でした。そんな保守的な価値観は大学にも普通にあって、その代表的な形が男女のキャンパスを分けた男子校、女子校なのです。ロチェスター大学も共学になる1955年までは、男女でキャンパスが分けられていました。

大学内のトレーニング・フィールド
 そして男女共学になったロチェスター大学は、現在の場所に統合されます。元々女子キャンパスがあった辺りは、市の管轄に戻されたわけです。その女子キャンパス内に図書館と、大学従業員の寮を兼ねた建物がありました。それがチャンピオンの社史にも登場する、あの有名な赤レンガの建物なのです。チャンピオンがここを本社としたのは、共学が始まった翌年の1956年のことでした。
 
 ロチェスター大学を後にした取材班は、次にその女子キャンパスがあった旧本社の地を訪ねました。なんと、アーカイブにあったあの古いレンガ造りの赤い建物はそのままの佇まいで残っていたのです。
 このときの取材班の興奮状態は忘れません。歴史的な建物が目の前にあるのですから。チャンピオンがこの建物を出たのは1976年になります。

チャンピオンのアーカイヴに残されている旧本社の写真

残っていた旧本社(現在の写真)
3.NOTA地区とカーネギー
 興奮したわれわれが、カメラマンも記者も関係なく全員で写真を撮りまくったことは言うまでもありません。そして写真を撮っているときに、一つ気が付いたことがありました。建物入口の上に建物の名前が書いてあったのです。半分は蔦に覆われていましたが“…RNEGIE”の文字が見えます。このスペルで思いつくのは「CARNEGIE」、つまりカーネギーです。ロゴタイプも、以前ニューヨークで見たカーネギーホールの文字と同じです。そんなことを考えているときに、突然、建物のドアが開いて一人の男性が出てきました。すかさず話を聞きました。この男性は、現在、このビルを管理している会社の人で、ここが昔チャンピオンの本社があったビルであることをちゃんと知っていました。しかも、現在は老朽化が進んでいるので、リノベーションの最中だというのです。また、ここがカーネギー財団によって建てられたビルであることも説明してくれました。そう、あのアンドリュー・カーネギーが全米各地に寄贈した図書館のうちの一つが、この建物だったというわけです。その話を聞いた途端に、ロチェスター~チャンピオン~カーネギーという、アメリカの生の歴史を目の当たりにした感動で一杯になりました。

最初に駐車場側から見た時はこの建物とは思わなかった

カーネギーの文字が判読できるか?

 その彼が去った後に、今度は女性が建物前の駐車場に停めたクルマから降りてきました。ちょっと女優のサンドラ・ブロックに似た素敵な女性で、クルマも古いムスタング、なかなかお洒落な人です。もちろん、呼び止めて話を聞きました。あの時のわれわれはきっと、そこらを歩いている猫にでさえも話を聞いたことでしょう。そのくらい、目の前に厳然とある建物の事実確認と情報に飢えていたのです。
 彼女は建物のリノベーションを担当する建築事務所の人でした。彼女によると、現在は内装工事中だが、最終的には外側にも手を入れてリノベーションするのだとか。この秋には完成するそうです。改装後は、クリエイティブのオフィスビルとしてオープンする予定で、NOTA地区と呼ばれるこの辺りは現在、アート・ディストリクトとしてロチェスターでは注目の場所であることも教えてもらいました。周囲には、チャンピオン旧本社のこの建物の他にも、いくつかの古いビルがあり、ちょうどニューヨークのソーホーのような、文化的な街作りが行われているようです。周囲を見渡せば、このチャンピオン旧本社の建物はランドマーク的な存在になりそうな雰囲気。でも、われわれの来訪がもう少し遅れていたら、外観が変わったこの建物を発見することはできなかったかもしれません。

内装工事中の建物内。
ここに1956年~1976年までチャンピオンがあった

階段の手すりの装飾、レンガの壁に時代を感じる
 

 考えてみれば、チャンピオンというブランドの歴史に残る建物の、最後の姿をわれわれはカメラに収め、目に焼き付けることができたのです。雑誌の特集記事と、最終的にその特集記事をまとめた小冊子『チャンピオン読本』のために、神様が粋な計らいをしてくれたのかもしれませんね。

NOTA地区の看板と旧本社ビル、右手にホットドッグの屋台が

NOTA地区の至るところにアート作品が